「MessageLeaf (メッセージリーフ)」の立上げ日誌~ウェブサイトにあなたと私の関係を~

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ミスを咎めるのを止めよう~放射性物質の拡散シミュレーションのミス報道に見る病巣~

最近流れたニュースで、非常に違和感を覚えたのがこのニュース。

「規制庁またまたミス・・・2原発の風向き正反対」(YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121106-OYT1T01297.htm

 

九州電力が両原発の敷地内で観測された風向きのデータについて「風上」と「風下」を取り違え、拡散シミュレーションの計算をした独立行政法人「原子力安全基盤機構」(東京)に提供した。その結果、東西、南北が180度回転した予測になったという。川内原発を抱える鹿児島県から九州電力に指摘があって気付いた。

 

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原発事故時の放射性物質の拡散シミュレーションで、ミスが発覚したのはこれが3回目ということで、ニュースで記者が「これで本当にもうミスがないって明言できるんですか?」と原子力規制庁の担当官に詰問し、担当官が苦しそうに答弁する姿がTVに映し出されていました。(上の写真は今回の謝罪や答弁とは無関係のものです)

何に違和感を覚えたかというと、「政府のミスは許されないものである」という発想です。

こういう論調で、今までも日本のマスコミは企業や国がミスを冒したときに「ケシカラン」として色々と「追及」してきたわけですが、僕はこのミスへの糾弾の姿勢がとても不健全だなと感じています。

 

100点満点がなかなか出てこないより、80点で早く出してくれた方が良い>

僕は今回、国がある意味“拙速に”データを公表したことはむしろ褒めるべきだと考えています。原発事故直後にSPEEDI(これも放射性物質のシミュレーションでしたね)のデータが速やかに公表されずに後出しになったことが大きな批判を呼んだことは、まだ記憶に新しいですよね。あの時の批判は僕は非常に妥当だったと思います。

一番最悪なのは、データすらとらないこと。次がデータはとっているのに隠ぺいして公表しないこと。この2つに対しては、大いに建設的批判をしたら良いと思います。有用なデータをきちんととって公開したのであれば、そこにたとえミスがあっても、修正可能なのだからそれで良いじゃないですか。

公表されたデータのミスというのは表に出ているが故に攻撃しやすいのですが、そこにあまりにも拘ると、とったデータを公表しないとかデータそのものをとらない、という最悪の方向に行きかねません。官僚側からしたら、データをとらなければミスも起きようがありませんからね。

またそうでないにせよ、「100点満点」を求めると、データの公表自体が大幅に遅れることも十分に考えられます。でも、それでは困る。80点で良いから、早く出してくれて皆でチェックをし議論をする方がよほど健全でしょう。

本当に大事なのはミスをしないことではなく、そうやって出されたデータが、「ソース(情報源)はどこなのか」「どんな前提でシミュレートされているのか」という点がクリアになっていて、多くの目でチェックできる形になっていることです。

 

<国は「親」ではない、「子ども」である>

国から出てくるデータが絶対間違っていないものと安心しきってしまうことの弊害についても言及したいです。あの震災の時、国が想定していた最悪を上回る事態が起きたことを思い出しましょう。

自治体にしても個人にしても自分自身のアタマで考えて判断する力を蓄えるには、国が出してきたデータもどこか間違っているかもしれない、という健全な疑念を常にどこかで保っておく必要があります。最後は自分に跳ね返ってくるのですから。

今回、鹿児島県は「他人事」ではなく「自分事」としてとらえていたからミスに気が付いたのではないでしょうか。だとしたら、これはむしろ「良い話」なのだと思います。

 

今回に限った話ではないですが、みんな、国を「親」と思っているからおかしくなるのではないでしょうか。親は絶対に間違えないはずだとか、親なんだから守ってくれて当たり前だとか。だって、国って自分たち自身じゃないですか。なので、特に大人の人たちは、むしろ「国は自分たちの子ども」と発想転換したら良いのではないでしょうか。

小さい子どもにミスを咎めつづけると、何かすると怒られやしないかと思って、チャレンジしない子どもになります。見た目従順だけど卑屈になってしまったりもするでしょう。多少間違えても良いから努力を誉め続けてあげれば、もっとうまくやろうとチャレンジしてくれるはずです。もちろん、本当に誤った方向に行きそうなときは、しっかり叱る必要がありますけど。

官僚も政治家も、そうやって皆で“育てていく”のが本来の姿ではないでしょうか。