娘が一生使える「良く生きる力」を養うための4つの心がけ
遅ればせながら、皆さまあけましておめでとうございます。
普段から子供と接している時間は比較的長い方だとは思いますが、この年末年始は特に、冬休み中の3歳の娘とかなりの時間を共に過ごしました。
「三つ子の魂百まで」という言葉があります。持って生まれた性格は長じてもずっと変わらないというのが本来の意味だと思いますが、一方で、これくらいの時期に大人と触れ合う中で形作られていく土台みたいなものも多分あるんだろうなぁ、とも思います。
彼女が大人になる頃、いったいどのような世の中になっているのか、全く想像つきません。でも、これからどんな世の中になっていようと世界のどこで生きていようと、次に挙げる力は必ず「良く生きる」ことに繋がっていくと信じています。
インプットする力
・周囲で起きていることを良く受け止める“聴く耳”を持つこと
咀嚼する力
・根源的になぜそうなっているのかを考え抜くこと
・制約条件のある中で自分はどうしたいのかを考えること
アウトプットする力
・未知の世界に一歩踏み出す勇気を持つこと
・やっていることを楽しむこと
こうした力の礎を築くために、妻や自分が心がけていることを4つ、今日はご紹介します。
<なるべく長く“Why”の繰り返しに付き合う>
子どもには「イヤイヤ期」と同時に、「なぜなぜ期」があるように感じています。
「なぜ」と問いを発するのは、非常に素晴らしい習慣です。大人のビジネスパーソンだって、「5なぜ(なぜを5回繰り返せ)」をやるべしと言われるくらい、真因をしつこく考えるのは大事ですから。また、わからない時にわかったふりをしないで素直に尋ねることができる強さを持つことは、間違いなく成長につながります。
でも、子供が「なぜ?」と繰り返し聞いてくると、つい面倒くさくなって「そういうものなんだから」で「Why?」の気持ちにシャッターを下ろしてしまうこと、極めてありがちです。なので・・・
「なんで今日はパパお家にいるの?」
「今日はお仕事お休みなんだよ。」
「なんで?」
「今日は日曜日だからね。」
「なんで?」
「日曜日はね、お客さんもお休みしているからパパも休むんだよ。」
「なんで?」
「日曜日はね、お休みと決めている人が世の中多いんだ。XXちゃんの学校もお休みでしょ。」
・・・
という具合になるべくお話がつながるようにします。やっているうちに、自分でも何で本当にそうなっているのか、説明つかない時も出てきますけど(^^)
また、何をして欲しいか子供に伝える時も、なるべく感情をぶつけるのではなく、理由を逐一きちんと伝えるようにしています。悪意で言っているのではなく理由がそこにあるということをしっかりわかってもらうためですが、こういうことの積み重ねが根源的な理由を考え抜く力や、“聴く耳”を育てるのだと思います。
<トレードオフのある選択肢を出す>
この考え方は、以前娘が通っていた保育園お勧めのプライベートセミナーで聞いてヒントを得たものです。
例えば、歯を磨かずにもっと遊んでいたいと駄々をこねる娘に対して、
「今歯を磨いておねんねして明日もデザートを食べられるのと、歯を磨かずに遊んで明日デザート無しなのとどっちがいいの?」
みたいな形で、自分でどうしたいかを決めさせます。
読んでお気づきのように、ある程度“誘導”しているのですが、“強制”ではないところがポイントです。制約条件のある中で自分がどうしたいか考えて決める方が、「XXなんだからあなたはこうしなさい」と押し付けられるより、納得して行動できますからね。
一般に、日本の社会はこの「押し付けられ感」が学校教育の中にも組織行動の中にも、極めて大きな存在になっている気がしています。そうしたプレッシャーの中で考えることを止めて素直に従ったり、イヤイヤやったりするのは、どちらもあって欲しい姿ではないのです。制約条件がある中で考えて納得したうえで自分の行動を決める、そしてその選択をした自分自身に対して責任を持つようになって欲しいですし、そのための訓練をこの年齢から始めるのは悪くないなと思っています。
<オリジナルなアイディア・やり方を褒める>
パズル遊びをしている時に思ったことがあるのですが、子供が迷った時に、大人は「定跡」をついつい教えがちです。パズルだったら、「端っこから埋めていけばいいんだよ」のように。ちょっとしたヒントを示唆するくらいであれば良いのでしょうが、どうしても必要以上に“教えて”しまいがちだなぁ、と感じています。
子どもって、「こういう風にやったら」と言われてやるのは、やっぱり面白くないんですよね。こうすればいいんだよ、ってこちらが見せようとすると拒絶したり、もう止めてしまおうとしたり。小さいなりにプライドを持っているわけで、やっぱり自分で「お、こうやればうまくいくんだ」という体験ができるから、パズルも面白いわけです。
とはいえ、あまりにうまくいかないとそこで放り出してしまうことになるので、うまくおだてながらトライし続けてもらうようにしています。そのうち「へー、そこから攻めるのか」というやり方を自分で見つけてきたりして。オリジナルなアイディアなりやり方なりを自分で見つけてやったことに対しては、すかさず思いっきり褒めてあげます。別に、それが一番効率良いやり方かどうかということは関係なく、自分のアタマで考えて自分なりの答えを出したこと自体が、とてつもなく尊いことなので。チャレンジしたことが偉いのです。
この積み重ねが、自分から一歩踏み込んでトライするクセにつながってくれたらしめたものです。
<やってる遊びを一緒になって真剣に楽しむ>
年末年始に一番気になった言葉が、為末大さんの「『一生懸命』やってる人は『無我夢中』でやってる人に勝てない」、です。これ、自分の経験に照らし合わせても、やっぱり真実だと思うんですよね。
遊びでも何でも没入できることが大事。なので、娘と遊ぶ時、特に「ごっこ遊び」なんかやる時は、こっちも本気になって楽しんで遊びます。替え歌を作って一緒に踊ってみたり、何体もあるカエルの人形それぞれに名前を一緒に考えて付けて「なりきり」で声優役をやってみたり、とハタから見たら「アホちゃうの」というような恰好で。こっちが本気になって遊んでいる時は娘の目の輝きも違うんですよね。もっとも、小さな子どもは気に入った遊びについては「リピート」リクエストが重なるので、こちらも飽きちゃって付き合いきるのが苦しい時もままあるのですが。。。
ともかくも、五体で「Fun」を感じそれを表現することで、今やっていることを思いっきり楽しむ感覚を覚えてもらえれば嬉しいです。そんな遊びの中に「学び」も徐々に取り込んでいければ、理想的な「Fun learning」になることでしょう。
とまあ、ここまで書いて、自分たち自身でも全てきちんとできているわけではなく、手探りでやっている部分もままあるなと改めて思います。それでも、こうした心がけは続けていこうと思っています。親が子に残せる最大の資産は、一緒にいる時間の中で伝えられる自分たちの言葉と姿なのですから!