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「MessageLeaf (メッセージリーフ)」の立上げ日誌~ウェブサイトにあなたと私の関係を~

「MessageLeaf (メッセージリーフ)」の開発から事業立ち上げに至る日々を綴ります。 Twitterアカウント:@acesuzuki

「死ぬほど働かされた」ことは美化しないけど「死なない程度に働いた」ことは美化する

時々、Gunosyの推薦記事でお目にかかる「社畜ブログ」さんで、先日、「死ぬほど働いた」ことを美化するな『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足、という2題の興味深いエントリを見かけました。

この中で、作者のdennou_kurageさん(@dennou_kurage)が、以下のような論を展開しています。

 

「若いうちはやはり、仕事のことを第一に考えて、思いっきり働く経験が必要だと思っている。仕事を通してのみ、人は成長するのだ。」

(中略)

一個人が死ぬほど「働かされた」ことを愚痴っているだけなら何ら問題はないが、このように「働かされた」ことが「正当化・美化」され、さらには「他人もこうすべき」と変化すると、実際に周囲に対して害を及ぼすようになる。

 

どの程度が「死ぬほど働かされた」ことになるのかは人それぞれでしょうが、僕自身、出口の全く見えない本当にギリギリの状態に追い込まれたことは、20-30代で何度かあります。同じことを他の人もしたら良いとまでは言わないものの、それくらいの修羅場を経験すると、まあ大概の状況下でも動じずに正しい判断・行動できるようになる、というのも事実。

こうした経験の何が有用で何が有害か、僕なりの答えを考えてみました。

 

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<成長するには負荷が必要>

15年ほど前に通っていた米国のビジネススクールでは、本当にあり得ないくらいの量の宿題(次の授業までに予習としてやっておかなければならないもの)が出ました。これ、一体なぜでしょう?

会社の仕事は、大概において1から10まで全部やっていたら、帰れません。ポジションが上がってカバーする業務範囲が増えたり、より高度な判断が必要になったりすればするほどそうです。そうすると、どうしても「捨てる」「代替手段を見つける」といったことを考えざるを得なくなります。ビジネススクールでは、この疑似体験をさせているわけです。

最初はヤマのような宿題の量に圧倒されて、途中で力尽きて授業に出るというパターンになりますが、慣れてくると、1から10までやるのでなく、自分が本当に学びたい科目にフォーカスしたり、同じ科目の中でもピンポイントで重要そうなところだけ押さえていったり、といった行動パターンになります。また、Study Groupという勉強仲間の知恵を借りるといったこともします。

ここで大切なのは、1日で楽に出来るくらいの宿題量だと、そうした行動パターンはとらないというところです。これは仕事でも同じこと。僕自身の経験で言っても、8割程度の力で楽に回せる仕事だけで日常が終っていると、成長は殆どありません。ビジネスパーソンとして成長するには「負荷」が必要なんです。

もう一点。別に「負荷」は長時間労働の話をしているわけではありません。時間当たりのアウトプットの量と質をぐっと上げるのを求められることを言っています。100の仕事量をフルタイムでやっていたところを、80の仕事量を半分の仕事時間で対応できるようにして残りの半分は親の介護をする、というケースでももちろん立派な負荷がかかっていますし、きっとその人の成長にもつながるでしょう。また、それまでは課長や部長が手直ししなければ使えないレベルの資料しかできなかったのを、そのまま社長プレゼンにも使えるくらいのレベルのものを求められる、というのも負荷になります。

 

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<理想はフィットネスジム・トレーナーの「笑顔の追い込み」>

この話、フィットネスジムのトレーニングに極めて似ています。

フィットネスジムでは、10回ギリギリできるくらいの負荷をかけてトレーニングすると効率的に筋肉がつくと言われています。逆に、楽に上げられる重量で時間をかけて100回やっても意味がありません。時間当たりの質量という負荷が重要なのです。

フィットネスジムの良さは、ギリギリの重さを設定してトレーニングのメニューを組んだり傍らで見てくれたりするトレーナーがいることです。さらに、「うわ、もうあかんわ」というギリギリのところで傍らのトレーナーがニコニコしながら「さあ、あと3回、頑張りましょう」などと言われると頑張れてしまいます。これ、独りでやると結構辛いです。というかできないんですよね。本当にギリギリくらいのところまで頑張るって、よっぽどマゾな人でないとできないです。人間は自分に甘いので、追い込みきれないのです。

会社でも、その気にさせたりフォローしたりしながら仕事上のチャレンジでしっかり追い込んでくれる上司は、自分の成長のためには非常にありがたい存在です。まあでも、会社の仕事だとどうしてもその時は鬼上司にしか見えず、後になって「ああ、あの時は追い込んでくれて良かったよな」と思えるわけですが() これは、一つには、なかなかに「笑顔の追い込み」という感じの良い形にならないからでしょう。ただ、笑顔もフォローもなくても、こちらが授業料を払っているわけではないので、仕方ないと言えば仕方ないところではあります。

 

<限界域を知る>

ここで注意すべき点があります。

フィットネスのトレーナーは決して「死ぬほど」の負荷はかけないということです。「この人なら、これくらいの重さでこの回数ならギリギリ頑張れるだろうな~」、というところでプログラムを組んできます。限界を超えた負荷がいきなりかかったら、当たり前ですがケガしますから。ここまではやれるけど、ここから先やったらヤバいな、という限界域を知ることは、コーチする側もされる側もだからこそ大事なのです。そして、その限界域は、メニューによっても人によっても異なります。

「死ぬほど働かせる/働く」というのは、この限界域をわからずに闇雲にやらせる/やってしまうということでしょう。そうすると、コーチされる部下の側は、精神的もしくは肉体的に壊れることになります。特に、笑顔でも励ましでもなく言葉の暴力で追い込む場合は、この崩壊が早まります。良きコーチ(上司)になるために、相手の限界域を探りながら仕事の負荷をかけていくこと、言葉の暴力に頼らないこと、は必要条件です。

一方、コーチされる側も、自分の限界域がどの辺りにあるのかというのは、自己防衛手段としても自分を成長させる手段としてもわかっておく必要があります。お付き合いする上司がすべてその辺の機微を理解する良きコーチかというと、そうではないケースもありますから。お酒と同じで、自分の限界域を知っておき、相手にも伝える。とはいいつつ盃を進められる中で、最後どこで「飲むのを止める」かは、自分自身で決めなきゃいけない。

まあ、こちらの限界域に頓着せずに仕事の“一気飲み”を強要するような人間が大勢いて、周囲にもそれが当然というような雰囲気が蔓延しているのであれば、間違いなくブラック企業ですから、そんなところからはさっさと足を洗いましょう。

 

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<会社は、オカネもらいながらトレーニングできる場でもある>

仕事で人一人雇って育て上げるというのは、並大抵のことではありません。雇用にも育成にもオカネと手間がかかります。人事周りの仕事の経験がある人にはすぐわかるでしょう。逆の言い方をしたら、若いうちに正社員で雇われているということは、給料もらいながら様々なトレーニングを受けているようなものです。

以前、Twitterでつぶやいたことがありますが、会社と個人は1:1の関係です。従業員にとって不本意な条件下で「働かされる」くらいなら、辞めればよいだけ。逆に、会社に所属して働いているのなら、自分にかかっているコストを上回る付加価値を出さなければ、同じ条件で雇用され続ける資格はありません(不幸にして病気になったり、産休・育休といった際のセーフティネットは別の話です)。そして、もし、より良い報酬をもらいたいということであれば、やはり成長してより高いレベルの成果をあげられるようにするしかありません。

なので、僕は「働かされる」っていう感覚を持つこと自体が、不幸なことだと感じます。

同時に、「働かせてもらっている」というのも不健全でしょう。どちらも「カイシャに」というのが枕詞として付いているのですが、どちらかがどちらかに過度に寄りかかっている感じがします。

 

ということで、僕は、限界近くの状態であることを意識しながら「働いた」経験はやはり財産だと思いますし、成長の意欲や余地のある若い人たちには、そうした前向きなキツい経験を是非してもらいたいと思っています。