ハラルフード情報が入手できるアプリ「Islamap」を応援!
「ハラルフード」という言葉でピンとくる方、どれくらいいらっしゃるでしょうか。これ、イスラム教の戒律に即した食べ物のことです。先日、母校卒業生の経営者の会に参加した時に、このハラルフードを核にしたアプリ「Islamap」を開発している学生たちと出会いました。オジサン起業家としても大いに刺激になりましたし、応援したいと思わせるサービスでもあり、この場でちょっと紹介したいと思います。
僕はその昔、南アジアや東南アジア地域の代理店や合弁工場から日本に出張や研修でやってくる人たちのお世話を業務の一部としてやっていました。特に、国際展示会があるような時は、多国籍で宗教的バックグラウンドも様々な人たちをツアーに連れ出したものですが、その時に一番困ったのが食事の手配です。OKと言える食材は野菜・穀類・鶏肉に限られてきます。こうした制約をクリアした食事だけを出してくれるようにレストランや会社の食堂と交渉するのが本当に手間でしたし、実際に出てくる料理の中にNG食材が入っていないかどうか、えらい気になったものです。
Islamapは、僕の経験の中でも最も気を遣ったイスラム教の人たちにとっての「OKフード」である「ハラルフード」が日本のどこのレストランなら食べられるかをマッピングするアプリです。
Homepage:http://www.islamap.com/
Facebook Page:http://www.facebook.com/islamap
後輩が立ち上げたアプリであること以外に、僕がこのIslamapを応援したくなる理由が二つあります。一つは、アプリ開発の素人の学生が、徒手空拳で始めたサービスであること。もう一つは、これからの日本にとって有望な成長産業である観光業に非常にマッチしたサービスであることです。
このサービスを立ち上げたのは、佐藤さんという大学生。イスラムの学生との草の根の交流の中で、彼らが日本で食事をする際にハラルかどうかわからずに躊躇する場面がたくさんあるという話を聴いて、Islamapのアイディアが閃いたそうです。例えば、寿司屋もチャレンジしたい(魚はイスラム教的にはOKです)という思いはあっても、使われている醤油がハラルかどうかがわからないので、踏み切れないのだとか。「ここならハラルの醤油が置いてあるのでOKだよ」という情報があれば、安心して入れるのに、もったいないですよね。
でも佐藤さんはアプリ開発は全くの素人。アプリを作成するのに自分の周囲にいる人たちに協力を呼びかけたけど反応が無く、大学1年生の夏に思いきって独学でアプリ開発を習得しようと決心します。そこから朝から晩までObjective-Cを学びながら、何と1か月半の夏休みの間に、Islamapのプロトタイプを作り上げてしまったそうです。そこからは仲間も増えて、現在は10人で本格的なローンチが間もなくという所まで来ています。
以前も書いたことがありますが、僕は「食」は、日本が今後本当に世界的な競争力を保ち続けられる分野の一つだと思っています。
下図は、2010年・11年の国際観光客の受け入れ数ランキングです。
国際観光客(外国人観光客)受け入れ者数 国別ランキング(2011年)
順位 |
国 |
UNWTO地域 |
国際観光客受け入れ者数 |
国際観光客受け入れ者数 |
変化率 |
1 |
フランス |
欧州 |
79,500 |
77,148 |
+3.0 |
2 |
アメリカ |
北米 |
62,325 |
59,796 |
+4.2 |
3 |
中国 |
アジア |
55,664 |
57,581 |
+3.4 |
4 |
スペイン |
欧州 |
56,694 |
52,677 |
+7.6 |
5 |
イタリア |
欧州 |
46,119 |
43,626 |
+5.7 |
6 |
トルコ |
欧州 |
29,343 |
27,000 |
+8.7 |
7 |
イギリス |
欧州 |
29,192 |
28,299 |
+3.2 |
8 |
ドイツ |
欧州 |
28,352 |
26,875 |
+5.5 |
9 |
マレーシア |
アジア |
24,577 |
24,714 |
+0.6 |
10 |
メキシコ |
北米 |
23,403 |
23,290 |
+0.5 |
日本はというと、東日本大震災の影響が大きかった2011年で6.2百万人、その前の2010年でも8.6百万人。トップ10と比べると1桁少ない数字です。陸で隣接する国が無いという地理的な条件を考えても、まだまだ伸び代が大いにあることは容易に想像がつきますよね。逆に言えば、多様なバックグラウンドの外国人に新たにどんどん来てもらおうと思ったら、その人たちにとって安心して楽しめる国であるというイメージを持ってもらうことが極めて重要になりますし、「食」は間違いなくキーポイントになるでしょう。
そんな意味でも、Islamapの取組みで、今までは少々縁遠かったイスラム教の外国人の方々が数多く日本での観光や居住を楽しんでもらえるようになるのを期待しています!
「勉強カフェの開放」と「リバース・イノベーション」の可能性
勉強カフェのオーナーである山村さんが、ご自身のブログ「The learning port」で先日書かれた「勉強カフェを”開放”します」、久しぶりに読んでいて興奮を覚えたブログエントリーでした。
詳しくは上記のリンク先の記事を読んで頂ければと思いますが、要は、2009年以来店舗展開されてきた勉強カフェの事業ノウハウを、「勉強カフェをやってみたい」という意欲のある人たちに開放していく、ということを宣言されています。大事なのは、フランチャイズ制度ではなく、事業をやりたい人が自分自身のやりたい勉強カフェをかなり自由に設計できるという点です。
<何より大事なのはオーナーのモチベーション>
この山村さんの斬新な宣言、2つほど強烈に後押ししたい点があります。
1つはオーナーのモチベーションを大事にしている点です。人間、「ああやれ、こうやれ」と最初からやり方を指導されると、なかなか本当の力を出せません。やっぱり自分が主体的に考えて試行錯誤しながら突き進んでいく時がいちばん面白いですし、だからこそ力が最大限発揮されます。事業を興して成功してきている人たちは、みんな同じような経験を積んできていると思います。
もちろん、すべて自己流だと避けてしかるべき罠に嵌ってしまうようなことも起き得るので、適宜のアドバイスは有用です。でもそれは、手足を縛ったり上から目線で指導するようなフランチャイズ的なやり方とは違います。山村さんが書かれているように、きっと「本部の指示通り店舗運営を行うお店より、自分の思う勉強カフェをそれぞれの形で表現した方が、粗削りだって魅力的」になるでしょう。だって、オーナー自身がその方が面白いでしょうから。
<”リバース・イノベーション”の可能性>
私の恩師でもあるV.G.ゴビンダラジャンの近著「リバース・イノベーション」がいわゆる「戦略本」として久しぶりの大ヒットになっています。もう一つ後押ししたい点というのは、勉強カフェの試みがまさに「リバース・イノベーション」を地で行っているところです。
V.G.がこの本の中で言っているのは、まとめて言えば、「先進国の企業がやるべきなのは、自国の市場で売れているものやサービスをそのまま途上国に持って行ったり、自国のモデルをローカル(途上国)のニーズに合わせて変更を加えて普及を図るといった話ではもはや不十分である。そうではなく、途上国のニーズや市場環境に根差した根本的に発想の異なる製品やサービスを一から創らなければならない。そして、そうやって創った製品やサービスは往々にして先進国市場の中で新たな市場を創出する。」ということです。
この考え方に沿って言えば、フランチャイズ制度というのは、「自国の市場で売れているものやサービスをそのまま他の市場に持って行く」という旧来型のモデルでしょう。フランチャイズの中には、店舗レベルで地域のニーズに合わせて多少の工夫を加えているところもありますが、これもまだ不十分。
山村さんが書いているように、たとえ同じ日本国内であっても、「東京と地方都市は違う。住んでいる人も文化も違う。」わけで、それぞれの地域の事情に合わせたサービス形態を創り上げていく方が実は良いものができるし、さらに言えばそうした試行錯誤からそれまでは考えもしなかったような知見が生まれて、勉強カフェ全体も良い意味で思いがけない進化を遂げていくのだと思います。
山村さんがブログのトップに書いている「人と学びが集約することで化学反応が起こり、そしてまたそれぞれへ拡がっていく。」を地で行く今回の試みを、心から祝福&応援しています。
ホリエモン出所に感じる「虚像の時代」の終焉
今日は3月31日、日曜日。今年は東京の桜もちょうど散り際で、日本人的には何だかしみじみと区切りを感じる週末の一日でした。
先週はホリエモンこと堀江貴文さんが仮出所ということで、世の中ではだいぶネタになっていました。
ライブドア事件があったのは2006年。思えばずいぶん昔の話になったものです。
僕自身は、今も昔も堀江さんにはそこまで興味はないし、考え方や振る舞いに共感も嫌悪も覚えません。でも、今でも強く印象に残っているのが、ライブドア事件で堀江さん逮捕のニュースが出た時、自分の会社のお偉いさんたちがまるで鬼の首でも取ったかのように喜んでいた姿です。見ている側として、嫌悪感を覚えるくらい不自然に、50代・60代のオジサンたちが「はしゃいで」いました。今のマスコミの報道の仕方なんかをみても、堀江さんに対しては生理的な「憎悪」の念が根底に残っているように思えてなりません。
僕が若い頃、父が家で飲んでいる時によく口癖で言っていたのが、「人は本当のことを言われると怒る」です。誰かの受け売りなのか自分の言葉なのかは今もってわからないのですが、今でもこれは「名言」と思って大事にしています。
堀江さんがなぜそれほどまでに「オッサン族」に嫌われていたのかというと、まさにこの「本当のことをズケズケと言っていた」からなのでしょう。
あの怒っていたオッサンたち、みんな自分ではわかっているんですよ。「結局は世の中オカネだ」って。だけど、それをズケズケと自分よりずっと年下でしかもずっと稼いでいる人間に言われちゃうのは、プライド的に許せない。(逆に、オカネに頓着しない人は、ホリエモンが言っていることを聞いても別にどうこう思わないでしょう。)
更に言えば、その堀江さんの姿はマスコミによって一部を切り取られた「虚像」だったことも影響していると思います。「小沢一郎=巨悪、剛腕フィクサー」と同じような文脈で「ホリエモン=金の亡者、怪しげな商売人」というような虚像はわかり易いし、叩き易い。
出所後の堀江さんのTweetを見ていて何か少しほっとするのは、もはやそうした「虚像」に踊らされる世界ではなくなってきたということを再確認できるからなのでしょう。そして、堀江さんが本音でズケズケ言っても、もはや昔ほどインパクトが感じられないくらい、本音トーク/論考がweb上では普通になってきているからなのだと思います。
「虚像の時代」を卒業し、「肉声と本音の時代」へ。そんな流れを改めて感じた年度末でした。
MessageLeafの新機能「ファンの可視化」と「ブログ更新通知」のお知らせ
先週はGoogle Readerのサービス中止が発表になり、ブログ界隈の話題が盛り上がりました。そんなタイミングに合わせてというわけではありませんが、MessageLeafの新機能追加のお知らせです。今回の機能は、「ファンの可視化」と「ブログ更新通知」です。
<自分のファンはしっかり認識しておきたい>
自分のブログに読者からMessageLeafが贈られると、嬉しいものです。わざわざ時間を取ってフィードバックを贈ってくれているわけですから、過去にMessageLeafを贈ってくれた人たちを自分のコアな「ファン」としてしっかり認識しておきたいというニーズがあって不思議はありません。
そんなニーズに応えるのが、「ファンの可視化」機能です。具体的には、管理画面にいくと、↓のような画面構成に変わり、右上部が「ファンのみなさん」というコーナーになりました。
見て頂いてわかるように、ファンの皆さんの顔がずらっと並んでおり、カーソルを各写真に合わせると、Facebookのアカウントネームが表示されます。私のファン数は42名でこの画面だと一部しか表示されていないですが、「全員を表示」をクリックすれば全てのファンの顔が表示されます。
<なぜ「ブログ更新通知」機能なのか>
自分のブログの「ファン」に対してできることとして、まずコンテンツを更新した時にお知らせするという機能を付けました。
コンテンツを更新した時は、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアを使って告知を行なっている方が大半だと思います。私もそうです。ソーシャルメディアの利点は大勢の人に届けられ、それが「バイラル」する可能性があるというところです。なので、PVを稼ぐためにも使わない手はありません。一方で、タイムラインをしっかり毎日読み込み続けている人の方が稀でしょうから、本当に読んでもらいたい「ファン」に届く「確実性」は落ちます。
読者側から見るとどうでしょうか。気に入ったブログがあって、コンテンツが更新されたら是非チェックしたい場合の話です。この場合は、前述のGoogle Readerに代表されるブログリーダー系のツールの利用がまず思い浮かびます。私は長いこと「はてな」でブログを書いていることもあり、「はてなアンテナ」を“一応”使っています。“一応”と書いたのは、不思議なことにブログリーダーは時間が経つと段々使わなくなるという特性(?)があり、私もそうなってしまっているからです。おそらく、「登録したことで満足してしまう」という点と、「自分から能動的に見に行かないとどんどん溜まる」という2つの心理的ハードルがあるため、だんだん遠ざかっていくのではないかと推察しています。
作者側・読者(ファン)側双方から見て「イマイチ」のこの状況を解決する「ブログ更新通知」のツールが求められるわけです。
<MessageLeafで温もりの伝わる更新通知を>
単純な「ブログ更新通知」のツールとしては、「ブログを購読する(Subscribe)ボタン」が使われるケースが最近増えてきました。しかし、これも2つほど問題があります。
・購読するブログが増えるにつれて段々と効果が薄れていく可能性が高い
読者が色んなブログをどんどん購読していくと、ただでさえ情報過多のメールボックスに入ってくる情報が増え、結局は読まずに放っておかれる可能性が高まります。
・エントリーの「あたり」「はずれ」が選別できない
作者側として、「これは是非とも伝えたい」という力作もあれば、「これはそうでもない」というものもあるでしょう。一番目の問題点とも関わるのですが、そうした選別がされないと、結局は読者にとっては「ゴミ」の情報が増えるだけということになりかねません。
MessageLeafでは、ブログの更新通知を作者側が“考えて”行なうことで、上記のような問題を解決します。要は、自らが「これは是非伝えたい」という出来栄えのエントリーが書けた場合に、自分の手作りメッセージを添えてファンに伝えるという、「温もりのある更新通知」ができるようにしました。
具体的には次のような感じになります。
1)これと思えるブログエントリーが書けたら、ファンにメッセージを通知するために、↓のように「ファンに新着記事のお知らせを作る」ボタンを押します
2)↓画面に遷移するので、更新したサイト記事のURLを入れると共に、メッセージを書き込みます
3)あとは送信ボタンを押すだけ。ファンの人たちはあなたからメッセージがあったことをメールで受け取ります。受け取られるメールをプレビューボタンでチェックすることもできます。
4)メッセージを受け取ったファンがリンクをクリックすると、更新されたエントリーの画面に遷移します。そのページで、いつものMessageLeafのやりとりもできます。
<“つながりの深化”という進化>
MessageLeafにとって、今回の機能追加は単なる機能追加ではありません。次なる大きなステップの一歩だと思っています。
MessageLeafは「いいね!」以上の“想い”を読者が作者に伝えるようにできること、で始まりました。作者にとっては、それまで顔の見えなかった読者との間で、「コンテンツをベースとしたつながりの “創成”」がされた、これが第一ステップです。
第二ステップは、そうしてできた「つながりの“深化”」です。作者からのブログ更新通知機能というのは、その“深化”の手法の一つです。今後、“深化”を実現するためにさらなる“進化”を遂げていきますので、どうぞご期待ください。
「なめらかな社会」での働き方
「なめらかな社会」。
佐々木俊尚さんがメルマガ「佐々木俊尚の未来地図レポート」で2週にわたって紹介されていた、鈴木健さんの新著『なめらかな社会とその敵』の表題にあるコンセプトです。
以下、佐々木さんが紹介している、鈴木健さんのフレーズの一部です。
「なめらかな社会では、社会の境界がはっきりとせず、だんだんと曖昧になっていく。ある人が日本人であると同時にフランス人であったり、ある土地が日本の土地であるのと同時にロシアの国土でもあったりする」
「近代国家は、土地や国民、法律などさまざまな境界を、国家のもとに一元化させてきた。なめらかな社会では、それらがばらばらに組み合わさった中間的な状況が許容されるようになる。中間的な状態が豊かに広がる社会では、お互いに完全に一致するアイデンティティを捜し出すことはほぼ不可能で、万人がマイノリティであるような社会をつくりだす。いままでの例外状態がほぼ例外ではなくなり、フラットやステップのような両極端な状態のほうが例外になる」
「会社という存在もまた考え直す必要がある。もし、ひとりの人が同時に2つ以上の職業につくことができれば、それは会社への依存関係をなくし、他の生き方や想像力を活性化させるにちがいない」
かちっとした「所属」型社会から個人が流動化していくというこのコンセプト、非常にしっくりきました。
<カイシャに依存しない働き方>
今、モノやサービスの世界では個別の「所有」から「共有(シェア)」へという大きな流れが続いています。カーシェアリング、シェアハウス、コワーキングスペース、Dropbox、AWS(Amazon Web Service)。。。 例を挙げればきりがありません。
共有(シェア)が起きるのには2つの条件があります。1つは、対象物がクルマや家やオフィスやサーバーなど、物理的・経済的に「大きな」もので、単独で持つにはリスクが大きかったり単位が大きすぎたりすること。もう1つは、共有(シェア)する対象物を見つけたり仲間を見つけたりするコストが低いこと、です。この点に関してはウェブ上の様々なサービスの発達でハードルが大きく下がっています。
ヒトについても、単体でかなり大きな資源であること(年収500万円の人を1人雇うとすると、雇う側からすると年間1000万円程度の投資です)、共有の為に必要な情報の入手コストはそう高くないと想定されることから、今後やはりシェアしていく形が進んでいくと思います。つまり、ひとりの人が同時に2つ以上の職業につく、という鈴木さんのコンセプトが具現化されていくのではないでしょうか。
働く側からすると、所属する組織も複数になるわけですが、では「会社への依存関係をなくし、他の生き方や想像力を活性化させる」というメリットは具体的にどのようなものになるでしょうか。
まずは収入のリスク管理です。自分のおまんまの出所が1か所しかないというのは、所得ポートフォリオ的には実は大きな「リスク」です。ある日突然その会社がつぶれてしまったらどうなるか。そうなっても大丈夫なようにするには、「すぐにでも他社で通用する力」がないといけないのですが、1か所でしか働いたことのない人だと異なる環境下で力を発揮できるかは未知数です。その点、複数の職場で働いて実績を残していればこの点に関してすでにクリアですし、そもそも1社潰れてももう1社からの収入は続くので「次の職場」探しもあせらずにやれます。これが依存関係がなくなるということ。
また、自らの能力形成にもプラスになる。例えば、食品会社と小売業の会社の2つに属しながらそれぞれのマーケティングを担当していれば、2つの仕事の間で応用し合えるコンセプトが出てくる(いわゆるシナジー効果が出る)でしょうし、そうした経験を積むことで他の業界のマーケティングでも良い仕事ができるようになる可能性が出てきます。以前書いたエントリー、真のノマドとして生き続けるための「3つの方向性」と「1つの鍵」で示した「セルフ・ピボット」がやりやすくなるというわけです。
<愛着は持っても執着を持たない、“ちょうどいい”関係に>
カイシャに依存しない働き方が実現する世の中になると、「属性」ではなく「何ができるか(どんな付加価値が出せるか)」にフォーカスが移らざるをえません。そうするとますます個人が組織からより自立した存在になっていく、という循環が働くようになっていく。
個人が組織から自立して複数社と契約関係にあるのが普通というような状態になってしまうと、「愛社精神」に代表される「所属愛」に価値を見出さない、ドライな世界になるように思われる方もいるかもしれません。でも、対象が複数であろうと好きで納得して所属しているわけですから、所属している会社やそこにいる同僚・先輩・部下への“愛情”は、むしろしっかり持てるし、たとえ会社を離れることになっても感謝の気持ちをずっと持ち続けられるでしょう。
また、一社だけにずっと勤め続ける人がたくさん残っても良いと思います。本人がその選択に心から納得さえしていれば、何の問題もありません。「一社だけに所属しない」というよりは、「所属に縛られない」ことが大事なのです。
愛着は持っても執着は持たず。そんな“ちょうどいい関係”が組織と個人の間に形成された時、働くことの真の楽しさや幸せを感じられるようになることでしょう。
「死ぬほど働かされた」ことは美化しないけど「死なない程度に働いた」ことは美化する
時々、Gunosyの推薦記事でお目にかかる「社畜ブログ」さんで、先日、「死ぬほど働いた」ことを美化するな、『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足、という2題の興味深いエントリを見かけました。
この中で、作者のdennou_kurageさん(@dennou_kurage)が、以下のような論を展開しています。
「若いうちはやはり、仕事のことを第一に考えて、思いっきり働く経験が必要だと思っている。仕事を通してのみ、人は成長するのだ。」
(中略)
一個人が死ぬほど「働かされた」ことを愚痴っているだけなら何ら問題はないが、このように「働かされた」ことが「正当化・美化」され、さらには「他人もこうすべき」と変化すると、実際に周囲に対して害を及ぼすようになる。
どの程度が「死ぬほど働かされた」ことになるのかは人それぞれでしょうが、僕自身、出口の全く見えない本当にギリギリの状態に追い込まれたことは、20-30代で何度かあります。同じことを他の人もしたら良いとまでは言わないものの、それくらいの修羅場を経験すると、まあ大概の状況下でも動じずに正しい判断・行動できるようになる、というのも事実。
こうした経験の何が有用で何が有害か、僕なりの答えを考えてみました。
<成長するには負荷が必要>
15年ほど前に通っていた米国のビジネススクールでは、本当にあり得ないくらいの量の宿題(次の授業までに予習としてやっておかなければならないもの)が出ました。これ、一体なぜでしょう?
会社の仕事は、大概において1から10まで全部やっていたら、帰れません。ポジションが上がってカバーする業務範囲が増えたり、より高度な判断が必要になったりすればするほどそうです。そうすると、どうしても「捨てる」「代替手段を見つける」といったことを考えざるを得なくなります。ビジネススクールでは、この疑似体験をさせているわけです。
最初はヤマのような宿題の量に圧倒されて、途中で力尽きて授業に出るというパターンになりますが、慣れてくると、1から10までやるのでなく、自分が本当に学びたい科目にフォーカスしたり、同じ科目の中でもピンポイントで重要そうなところだけ押さえていったり、といった行動パターンになります。また、Study Groupという勉強仲間の知恵を借りるといったこともします。
ここで大切なのは、1日で楽に出来るくらいの宿題量だと、そうした行動パターンはとらないというところです。これは仕事でも同じこと。僕自身の経験で言っても、8割程度の力で楽に回せる仕事だけで日常が終っていると、成長は殆どありません。ビジネスパーソンとして成長するには「負荷」が必要なんです。
もう一点。別に「負荷」は長時間労働の話をしているわけではありません。時間当たりのアウトプットの量と質をぐっと上げるのを求められることを言っています。100の仕事量をフルタイムでやっていたところを、80の仕事量を半分の仕事時間で対応できるようにして残りの半分は親の介護をする、というケースでももちろん立派な負荷がかかっていますし、きっとその人の成長にもつながるでしょう。また、それまでは課長や部長が手直ししなければ使えないレベルの資料しかできなかったのを、そのまま社長プレゼンにも使えるくらいのレベルのものを求められる、というのも負荷になります。
<理想はフィットネスジム・トレーナーの「笑顔の追い込み」>
この話、フィットネスジムのトレーニングに極めて似ています。
フィットネスジムでは、10回ギリギリできるくらいの負荷をかけてトレーニングすると効率的に筋肉がつくと言われています。逆に、楽に上げられる重量で時間をかけて100回やっても意味がありません。時間当たりの質量という負荷が重要なのです。
フィットネスジムの良さは、ギリギリの重さを設定してトレーニングのメニューを組んだり傍らで見てくれたりするトレーナーがいることです。さらに、「うわ、もうあかんわ」というギリギリのところで傍らのトレーナーがニコニコしながら「さあ、あと3回、頑張りましょう」などと言われると頑張れてしまいます。これ、独りでやると結構辛いです。というかできないんですよね。本当にギリギリくらいのところまで頑張るって、よっぽどマゾな人でないとできないです。人間は自分に甘いので、追い込みきれないのです。
会社でも、その気にさせたりフォローしたりしながら仕事上のチャレンジでしっかり追い込んでくれる上司は、自分の成長のためには非常にありがたい存在です。まあでも、会社の仕事だとどうしてもその時は鬼上司にしか見えず、後になって「ああ、あの時は追い込んでくれて良かったよな」と思えるわけですが(笑) これは、一つには、なかなかに「笑顔の追い込み」という感じの良い形にならないからでしょう。ただ、笑顔もフォローもなくても、こちらが授業料を払っているわけではないので、仕方ないと言えば仕方ないところではあります。
<限界域を知る>
ここで注意すべき点があります。
フィットネスのトレーナーは決して「死ぬほど」の負荷はかけないということです。「この人なら、これくらいの重さでこの回数ならギリギリ頑張れるだろうな~」、というところでプログラムを組んできます。限界を超えた負荷がいきなりかかったら、当たり前ですがケガしますから。ここまではやれるけど、ここから先やったらヤバいな、という限界域を知ることは、コーチする側もされる側もだからこそ大事なのです。そして、その限界域は、メニューによっても人によっても異なります。
「死ぬほど働かせる/働く」というのは、この限界域をわからずに闇雲にやらせる/やってしまうということでしょう。そうすると、コーチされる部下の側は、精神的もしくは肉体的に壊れることになります。特に、笑顔でも励ましでもなく言葉の暴力で追い込む場合は、この崩壊が早まります。良きコーチ(上司)になるために、相手の限界域を探りながら仕事の負荷をかけていくこと、言葉の暴力に頼らないこと、は必要条件です。
一方、コーチされる側も、自分の限界域がどの辺りにあるのかというのは、自己防衛手段としても自分を成長させる手段としてもわかっておく必要があります。お付き合いする上司がすべてその辺の機微を理解する良きコーチかというと、そうではないケースもありますから。お酒と同じで、自分の限界域を知っておき、相手にも伝える。とはいいつつ盃を進められる中で、最後どこで「飲むのを止める」かは、自分自身で決めなきゃいけない。
まあ、こちらの限界域に頓着せずに仕事の“一気飲み”を強要するような人間が大勢いて、周囲にもそれが当然というような雰囲気が蔓延しているのであれば、間違いなくブラック企業ですから、そんなところからはさっさと足を洗いましょう。
<会社は、オカネもらいながらトレーニングできる場でもある>
仕事で人一人雇って育て上げるというのは、並大抵のことではありません。雇用にも育成にもオカネと手間がかかります。人事周りの仕事の経験がある人にはすぐわかるでしょう。逆の言い方をしたら、若いうちに正社員で雇われているということは、給料もらいながら様々なトレーニングを受けているようなものです。
以前、Twitterでつぶやいたことがありますが、会社と個人は1:1の関係です。従業員にとって不本意な条件下で「働かされる」くらいなら、辞めればよいだけ。逆に、会社に所属して働いているのなら、自分にかかっているコストを上回る付加価値を出さなければ、同じ条件で雇用され続ける資格はありません(不幸にして病気になったり、産休・育休といった際のセーフティネットは別の話です)。そして、もし、より良い報酬をもらいたいということであれば、やはり成長してより高いレベルの成果をあげられるようにするしかありません。
なので、僕は「働かされる」っていう感覚を持つこと自体が、不幸なことだと感じます。
同時に、「働かせてもらっている」というのも不健全でしょう。どちらも「カイシャに」というのが枕詞として付いているのですが、どちらかがどちらかに過度に寄りかかっている感じがします。
ということで、僕は、限界近くの状態であることを意識しながら「働いた」経験はやはり財産だと思いますし、成長の意欲や余地のある若い人たちには、そうした前向きなキツい経験を是非してもらいたいと思っています。
「第5回SF Japan Nightセミファイナル」を戦い終えての3つの思い
先週土曜日に、「第5回SF Japan Nightセミファイナル」で戦ってきました。残念ながらファイナル出場の6社には残れませんでしたが、現時点で出せるものはきっちり出した上での結果なので、悔しくはありますが本当の勝負はこれからとの思いを胸に秘め、受け止めています。
当日の各社プレゼンの様子のまとめは、Yuto Koideさんの速報まとめのサイトが見やすいですので、興味のある方は是非どうぞ。
日本でのこうしたスタートアップ系のイベントに出るのは初めてだったのですが、今回強く感じたことが3つあります。
<感じたこと①:ガチンコ勝負の爽やかさ>
当たり前と言えば当たり前なのですが、こうしたイベントでは、年齢も性別も肩書きも何も関係なく、ただ、作ったソフトウェア/ハードウェアの特長と将来性、それを5分という短い時間の中で英語で伝えきるプレゼンテーション力、そしてその後の質疑応答のハンドリング力、を問われるのみです。プレゼンは5分ぴったりで何があろうと打ち切られるので、言うなれば“ガチンコ”の「5分間1本勝負」。
このフォーマットが僕には非常に心地よく感じました。いや、その分えらい気が張っていたらしく、本番前に何度かトイレに入っていましたし、自分の出番が終わってから席に戻った瞬間には突然胃がきゅーっと痛くなりました。傍らでチームの藤原さんが、「漫才のトーナメントみたいなもんですよね、きっと。」と言っていましたが、多分そんな感じなんでしょうね。あの感覚は、ホント、今までにないものでした。
<感じたこと②:見返してやろうじゃないの>
結果が発表された後、審査員(全員外国人でした)の何人かと直接お話しして、率直にどう思われたかを尋ねてみました。そこで出てきた話は、「みんなサービス自体は気に入ったのだけど、『極めて日本人向けのサービス』なのと『スケールアップが難しそう』というのがネックだった」というものです。
「日本人しかニーズ無いんじゃないの」と思われるかもというのはちらっと考えたことはあるのですが、改めて、そういうように受け止められるものなんだと思い知らされました。でも、僕らは、「コメント欄には書きにくいのでMessageLeafのようなダイレクトなコミュニケーションツールがあったら是非使いたい」と思ってくれる「シャイなガイジン」は、表面には見えないけれど絶対にいるはずと信じています。残念ながら、今回はそこを数字で示せる段階まで至っていませんでした。
終わった後、倉貫さんと熱く語ったのは、「グローバリゼーションというのは、海外現地の感覚に日本の製品やサービスを合わせていくという意味で使われがちだけど、僕らの本当のグローバリゼーションの仕事は、日本人の感覚で善いと思う価値観を海外の中に広めて世界をより善くしていく事だよね」ということです。
確かに、「スケールアップ」を簡単にしそうにないサービスということは、僕たちも自覚しています。完全に閉じたコミュニケーションを指向していますから、ソーシャルな広がりはそう簡単にはないでしょう。でも、「そう簡単にスケールアップし無さそう」「ビジネスにするのが難しそう」「あくまで日本人向けのサービス」と思われているのは実はチャンスです。
この世界は結果(Track Record)を示していかなければ説得力を持ちませんので、次のチャンスまでに、胸を張れる結果を出すようにしていきます。
<感じたこと③:日本もまだまだ捨てたもんじゃない>
最後になりますが、日本の若者は元気がないだとかベンチャーが育たないとか色々言われますが、このイベント出たらそんなものは戯言にしか聞こえないくらい、エネルギーを持って志も高い人たちと、沢山出会えました。
それくらい、今回出場された15社の皆さんは、どこもセンスの感じられる問題の立て方をして、それを解決するソフトウェア/ハードウェアを形にしてきた方たちばかりでした。それに、英語で堂々とプレゼンする人が大半で、正直、過去の出場企業のサービス内容やプレゼンを見る限り、ここまでレベルの高い会社がずらっと並ぶとは思っていませんでした。良い意味で期待を裏切られましたし、ジジくさい表現ですが、「日本もまだまだ捨てたもんじゃない」と心の底から思えました。
最後に、素晴らしいイベントを開催されたb-traxの皆さま、MessageLeafを応援して頂きました皆さま、そしてここまでMessageLeafを支えて頂いたユーザーの皆さま、関係者の皆さま、ありがとうございました。今回の結果は残念でしたが、この後また進化を遂げていくことで、皆さまへの恩返しにしていきますので、引き続き応援よろしくお願いいたします。