大切なのは、データか勘か
先日、とある雑誌の取材の中で、ちょっと興味深い質問がありました。それは、“ピボット”(開発途上での方針転換)が「データドリブンの決断」か「感性(というか、“勘”)の決断」か、という話です。結論から言うと、僕は後者の要素がより強いと思っています。
<敢えて限られた情報から考える>
ノーデータで良いと言っているわけではありません。MessageLeafも2度目のピボット前は、10数というレベルのサンプル数のデータはとっていました。良い示唆は、コンセプトを反映した動くものやサービスを実際に使ってもらって初めて得られるものなので、これくらいは是非ともやりたい。
とはいえ、n=20にも満たないサンプルで、「データ」という呼び方はちょっとしっくりこないですね。では、一気に例えば数百のサンプル数をとるかとなると、マネジメントと計測にかなりの労力と時間を割かれることを考えると、やりたくない、というか多分やっちゃいけないのです。
ここで重要なのは“敢えて小さくやる”ということだと思います。開発の初期段階では、その時にベストと思っていることを1か月後もベストと思っている可能性はないと考えた方が良い。それであれば、テストはなるべく小回りの利く形でやらないと時間のコストが大きすぎる。
あとは、限られた情報の中から正しそうな方向性を嗅ぎ取る“嗅覚(=勘)”がやはり重要になってきます。
<”勘“を助ける二律背反の考え方>
スティーブ・ジョブズは、いわゆるマーケティング・データ的なものを一切信用せずに自分の“カン”を信じて意思決定していたと言います。でも誰もがスティーブ・ジョブズになれるわけではないです。
“カン”が個人の経験や資質に左右されるのは事実ですが、どんな人でもできることが2つあると思っています。
1つは、限られたテストユーザーから得られた情報が本当のところ何を意味しているのか、それが根本的に重要なイシューなのか、というような思考を、テストユーザーとじっくりお話をしたり(いわゆるデプス・インタビュー)、チーム内で議論を闘わせることで進めていくことです。
自分の頭だけで考えているだけでは「独りよがり」でしかありません。
もう1つは、自分が生み出す製品やサービスを自分がユーザーとして心の底から愛しているか、自らの行動を顧み続けることだと思います。
僕は今、MessageLeafを自分のブログに設置してみて見知らぬ方からリーフを頂けるようになって、ますますMessageLeafが好きになっていっていますが、ピボット前のテストの時は、最初はちょっと面白くて使っていたものの、気が付いたら自分で使うということが1週間なかった、というような状況も経験しました。
これ、やっぱり危険なサインなんですよね。今から考えると、あの時ピボットした最大の理由は、自分の気持ちの中で良いと思っていた製品について「これ、ちょっと違うかも」という疑いが芽生えてきたことに自分が気づいたということだったように思います。
独りよがりにならず、でも我を信ずる。一見して二律背反の要素を今後も両方持ち続けていきたいですね。